古川町でよく耳にする「三寺(さんてら)」というワード。
当然のようにみんな使っているけど、地元民以外は「これって何のこと?」ってなりますよね。
古川町で毎年1月15日に行われる年中行事の「三寺(さんてら)まいり」は、浄土真宗の宗祖とされる親鸞聖人の命日に営まれる法要にあたるものです。
こうした法要は全国的にもあるものなんですが・・・
飛騨地域の娘たちは、大正から明治にかけて長野県の製紙工場へ働きに出ていて、彼女たちは「糸引き工女」と呼ばれていました。
その娘たちが地元に帰って来た時に着飾って瀬戸川の川べりを歩いて巡拝し、男女の出逢いが生まれたことから現在の「三寺まいり」というイベントに派生し縁結びの行事として知られるようになりました。
三寺とは文字通り、古川町内の3つのお寺のことを指しています。
古川の町中には3つの浄土真宗のお寺があり、歩いて回るだけなら1時間あれば十分お参りできてまう距離。
現在では瀬戸川沿いの千本ろうそくとか着物のレンタルとかのイベント部分が目立つ「三寺まいり」ですが、「三寺まいり」というのはそもそも慣習なので、そうしたイベントが無くても地元の人たちはお参りに行きます。
三寺と呼ばれるお寺のひとつ、円光寺(えんこうじ)は瀬戸川と白壁土蔵街に隣接しています。
山門は、当時この辺りを治めていた金森氏築城した増島城の山門を移築したものだと言われています。
道路から山門まで少し距離がある理由には、昔は山門の近くに道があったからという説があります。
区画整理をして道がきれいになったら、山門まで少し遠くなったよう。
山門には、飛騨の匠の技である「継ぎ手」という技法が!釘を使わず木を継いであります。
錆びないし分解もできるし、何かあったら取り換えもできるとっても便利な技法。
円光寺に限らず飛騨では寺院はもちろん、一般の家にもこういう技術がたくさん詰まっています。
本光寺(ほんこうじ)の現在の本堂は、1904年の古川大火で元々の本堂が焼失したあと飛騨の匠によって再建されたもの。
お寺の敷地内には、糸引き工女たちが勤めていた信州の工場の人が寄進してくれた玉垣(お寺の周りに積まれている石垣)とそれにまつわる石碑が。
飛騨の糸引き工女の物語は、1979年~1980年に「あゝ野麦峠」という映画とドラマになっています。
その作品の中で工女たちはひどい扱いを受けたように描かれていますが、そこは現実とは違っていてちゃんとした待遇を受けていたと聞きます。
飛騨には「百円工女」と呼ばれる、優秀な工女もいたとか。
100円って当時は、1年分の生活費を賄ってもまだ田畑が買えるほどの大金だったそう。
こんな風に玉垣を寄進してくれたのは、そんな大切な働き手を送ってくれる大切な町だと思われていたからなんでしょうね。
真宗寺(しんしゅうじ)は、八角輪蔵(はっかくりんぞう)があるお寺。
八角輪蔵 は真ん中の1本の柱が600~700の経典の入った八面の本棚のような物をバランス良く支えているので、作るのが難しく多くのお寺にあるものではないそう。
飛騨の祭屋台とおなじく蔵の中に入っているので、大火があっても燃えずに現在まで残っているそうです。
それから、三寺まいりの時は3つのお寺はこんな風に本堂を開けています。
真宗寺の外陣(げじん)(※畳の部分)は、柱がない外陣としては飛騨でも1番広いんじゃないかってくらいの広さだそう。
柱が無くても大丈夫なように、屋根の造りが変わっているそうです。
ここにも匠の技ですね!
飾ってある和ろうそくは、古川町の三嶋和ろうそく店でこの日のために作られた通常より大きなものです。
同じ宗派だから「三寺」って一括りにまとめられてもやっぱりそれぞれに特徴がありますね。
「三寺まいり」は1日だけのものですが、それ以外の時にはこんな巡拝の楽しみ方もありますよ!
記事を読んで、少し身近になった気がしたらお寺に出かけてみましょう!