かつて東洋一の規模を誇った日本有数の亜鉛の山、「神岡鉱山」。
神岡町の歴史は神岡鉱山と共にあるといってもいいほどです。
その当時、山の上に人口9,000人ほどの町が存在し、ほぼ全員が神岡鉱山の関係者またはその家族でした。
鉱山での採掘の歴史は古く、遡ると奈良時代からともいわれていますが、1874年に三井組が近代的な鉱山経営を開始しました。
東京の本社など他県からもたくさんの従業員が派遣され暮らしていたので、流行も早く入ってくる「ハイカラ」な場所だったそう。
明治初期、みんなが着物を着ているなか鉱山の住宅あたりの女性たちはハイヒールとハンドバッグを身に着けていたとか、オーダーメイドのスーツが日本で銀座の次に売れていたとか・・・
それほどまでにきらびやかな町だったんです。
その後は、「スーパーカミオカンデ」などの実験にも使用され、その研究からノーベル賞の授賞者が出るほどの神秘的な山。
研究については難しいので、知りたい方は三井金属さんの説明へ~!
とにかくそんな最先端の華やかな町だった神岡町に、栄えている町の象徴でもあった花街があったということはご存じですか?
1907年、住民が当時の県知事に遊郭の設置を請願して作られ、1958年、売春禁止法が本格的に施行されるとともに廃止されました。
その名残はまだ町のいたるところに見ることができます。
現在の大津神社下のあたりを指す花街は神岡の中心部にあり、山田川に数本かかる橋を隔てて飲み屋街の「待合エリア」と「遊郭エリア」に分かれていたそう。
「みんな待ち合いで飲んでからあっち側に行ったんや~」と町の長老が教えてくれました。
そして山田川の待合エリア側は桜並木で華やかに、遊郭エリア側は柳の並木で情緒的な景観だったそう。
なんだかとっても風情がある・・・
昔の日本って、そういう感情にうったえてくる部分があって素敵です。
現在は月見橋の1本の柳を残して、両川沿いは桜並木になっています。
一気に川沿いの桜が咲く様子はとーってもきれい!
毎年だいたい4月10日前後頃に咲き始めます。
河川敷まで降りられるのでお散歩してみるものいいですね。
壁画には神岡祭のひとコマが描かれています。
遊郭エリアの方には当時から現在まで営業している店はもうありませんが、待合(まちあい)茶屋跡や料亭跡などが数件残っています。
また、検番(けんばん)という芸者を登録させ、客席に出る芸者の取り次ぎなどの事務をしていた建物が残っていて、これは日本の中でもめずらしいんです。
中でもこの深山邸(当時の屋号は若松家)は、代表的な建物でもあります。
建物の造りにはいろんな仕掛けが。
階段がこんなに急なわけとか、建物の真ん中に庭がある理由とか・・・
思いがけない工夫を聞くと、へ~!!と言ってしまいますよ!
神岡街歩きガイドのみなさんに話をしてもらいながらだと、興味深い話が聞けちゃいます!
(※深山邸の見学には神岡振興事務所の許可が必要です。)
花街には華やかだけでなく、裏には花魁たちの悲しい境遇も隠れています。
そんな歴史も含め、知っていくことも大切なのかもしれません。
この辺り一帯をゆっくり歩くと見えてくる歴史の足跡。
車で通り過ぎるだけでは気づかない情緒が見えてきますよ。